最近話題の永代供養墓におすすめのお寺をピックアップして紹介します

お寺めぐり~伝通院(でんづういん)~

お寺めぐり~伝通院(でんづういん)~文京区小石川には、壮麗な山門が目を引く伝通院というお寺がある。
このお寺は、文豪永井荷風の随筆のタイトルの一つにもなっている。
荷風は、パリにノートルダムがあるように小石川にも伝通院がある、と称賛したとのことである。
しかし荷風が目にした伝通院の威容は知るべくもない。
なぜなら明治41年、荷風が外遊から帰国して数年ぶりに訪れたその晩、本堂は三度目の大火で焼失したからである。
またその後の第二次世界大戦でも建造物はすべて焼失、現在の立派な本堂は昭和63年に再建、平成9年には繊月(せんげつ)会館が建立されたとのことである。
この繊月会館は大型ホールとなっており、控え室やシャワーなども完備されている。
比較的大規模な葬祭も行なわれているとのこと。

伝通院の歴史

さてそもそも伝通院は、浄土宗第七祖了誉が室町時代の応永22年(1415)に
小石川極楽水に開山したお寺であるという。
当時は無量山 寿経寺という名であった。
「伝通院」と呼ばれるようになったきっかけは、創建から200年後の
こと。慶長7年(1602)8月、徳川家康の生母、於大の方が
伏見城で逝去した。家康は生母の遺言通り遺骸を江戸へ運び、
翌年遺骨を現在の地に埋葬して、寿経寺を移転、堂宇を建立した。
その於大の方の法名が「伝通院殿」であったことから「伝通院」と
呼ばれるようになったとのことである。
やがて江戸幕府から600石ともその後830石とも言われる寺領を与えられ、
多くの堂宇や学寮を有し、芝の増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席となり、
上野の寛永寺とともに、江戸の三霊山と称されるようになったという。
伝通院の墓地が庶民に開放されるようになったのは明治になってかららしい。
墓所の北側の広大な一画が徳川家のゆかりの方々の墓域となっており、
先述の於大の方初め、二代将軍秀忠の長女・千姫や四女・初姫、また
三代家光の次男・亀松君などが埋葬されている。どれもとても立派な
お墓で一見の価値があると言うと失礼かもしれないが、お参りするとその
大きさに驚くと思う。

伝通院の特徴

伝通院では、永代保存供養墓という形式で、永代にわたりお墓を残す
制度があるとのこと、徳川家ゆかりの方々と同じ墓所での永遠の眠りが
約束されているのである。
伝通院苑内には桜や梅など緑が多くあり、ゆったりとした環境に囲まれている。
そのため、落ち着いた雰囲気にて参拝でき、心がやすらぐとの声も多数寄せられている。
参道も広々としており、楽にお参りできると評判とのこと。
また、伝通院では「ともいきくらぶ」という教化活動も実施しており、写経会や茶道教室、俳句教室やお寺ヨガ教室まで幅広く催し物を開催している。
こういった教室などから伝通院の雰囲気を感じとるのもまた1つではないだろうか?
緑あふれる落ち着いた環境の中、時折教室に参加する人たちの賑わいが感じられる伝通院。
こんなお寺で供養してもらいつつ、ゆっくり眠るのもいいかもしれない。

名称:浄土宗 無量山 伝通院
住所:東京都文京区小石川3-14-6
電話:03-3814-3701

掲載永代供養墓一覧
本法寺(ほんぽうじ) 浄土真宗
一行院(いちぎょういん) 浄土宗
慈照院(じしょういん) 曹洞宗
護国寺(ごこくじ) 真言宗
れんげ山霊園(れんげやまれいえん) 民営